【対話】
スタッフのブログはいかがでしょう?
個々の見え方・考え方がわかり、私個人としては興味深く楽しいです。

そこに共通するようなお話を。
私が子どもたちとの関わりで、最近より意識している事があります。

それは対話する事。

「頑張りたい事はなに?」
「高さはどれくらいがいい?」
「怖くない角度はどれくらい?」
「何回やってみる?」

脳内のモヤっとしている事を全部言葉にして整理しているような感覚。

私がやるのではなく、本人がやるのだから本人がやり始められるきっかけや環境で、本人から動き出してくれます。

言葉での返しが難しい子は、本人が出来そうなギリギリ設定で提案して、本人にも確認して大外れもあればバッチリハマる時も。

「ちゃうんや!とりあえず聞けよ!オレの話を!」
子どもたちはそう言いたいけど、それを言葉でなく態度や行動で現すから、話を聞く。

私たち大人も同じ。
「なんでわからんの?うちの旦那!」
「ほんま気ぃ効かんわぁー。」

みんな心の中で思っているだけで、言葉にしていない。もちろん私もそうですが…

受け止めてくれるから、話し始められるし、伝えようとする。
そこにはその人との関係性が、その人の在り方があるから。

「こいつの言う事やったら聞いたろか」
「こいつはちゃんと見てくれてるから、頑張ろか!」などなど。

こちらの言う通りに動かしたいわけではなく。
その子にとっての可能性や粘り強さをいかに引き出していくか。
短い時間の中で保護者に送迎して頂いて、遠路遥々来てくれた結果を出す。

そして親子共々ええ顔になって帰ってもらう。

毎回異なる指導が展開されて、でも共通して見つけられてきた事もあって。

自分の真ん中を見つけられるようになったら、バランスボールに乗れる。

自分で自分の中の真ん中を探している時の子どもの表情は真剣です。

だから邪魔しない。
自分との対話をしてもらう。
「違った!」とか、
「前に行き過ぎた」とかフィードバックも自分で出来ていたら、もうただ見守るだけ。

それを真剣な眼差しで見つめる保護者。
その視線よりも自分自身の身体との会話に集中する子ども。

笑い不要。
真面目に真剣に自分と向き合っている瞬間を見守る。
最高にシビれる時間です。
成功できるか?まだ難しいか?

言葉は不要。
子どもが自ら動き始めるのを待つだけ。
タイマーで自ら決めた時間が過ぎるのを目だけで確認しながら、バランスボールに四つ這いで乗る。

グラグラしても自分で元に戻せている。
グラグラしても許容範囲。
倒れたとしても変な落ち方をしない事もわかる。
自分の真ん中を見つけられてきたから。

タイマーが鳴り、歓喜する子ども。
それと同等に歓喜する保護者。
「あんた、こんな事出来るんやね!すごいね!!」

「初めて出来た!!」

スモールステップの設定も、
色んな活動の提案も、
その場に合わせた指導のチョイスも、
全ては指導者が用意周到に準備して決めてやらせるのではありません。

基本的に学校の体育や運動が苦手な子らが来ています。

その子らに「やらせる」事は学校などで日々行われています。
「やらせる」のではなく、「自分でやり始める」。
義務でなく、
強制でもなく、
「やってみるか!」と自ら動き出す。
その為に指導者側がどう働きかけるか。

どんな言葉を投げかけるか。
もう少しクローズドな質問の方がよいか、オープンな方が答えやすいか。
どんな速さで言うか。
どんな声のトーンか。
低い声がよいか、高い方がよいか。
視線はどこに向けるのか。
掌はどこに触れるのか。

マンツーマンで関わる醍醐味は全てに意味がある事と私は感じています。
なので他のスタッフの援護は不要。

全部が試されている瞬間です。
全部が私の責任なのだから。

アセスメントだけをしてるわけでなく、その先の出来なかった事が出来た体験に変わる瞬間を生み出す為の関わり。

私は障がいがあろうがなかろうが、子どもらに心も身体も粘り強い、しんどい事があっても乗り越えられる人になって欲しい。

だから私も粘り強くなる。

だから指導も粘り強くなる。

私自身が指導に現れる。
仕草、発言、態度、行動すべてに。

だから自分の在り方を探求しないと誰もついて来ない。
しょーもない奴に我が子を任せたくないのが親の心情です。

子どもとの対話以上に、
自分との対話が必要なのだと思う今日この頃。
つっち〜

ルピナスは、
堺市が勧める「さかい子育て応援団」に登録しています。

地域社会全体が子育てを応援する、安心して子どもを生み育てるまちづくりを推進する事業に賛同し、ミルクのお湯提供をさせて頂いています。
もちろん障がいについてもご相談お受けします。